« 歩兵第十八連隊史と兵東先生*** | トップページ | 何にもない棚*** »

2011年2月19日 (土)

兵東先生の教えたかったこと***

 Dsc08460

昭和20年代の中学校教師記念写真、教えていただいた時期には年より老けて見えたが改めて見直せば先生方は若かったんだ!

今の同年齢の教師より落ち着いた雰囲気は戦争が終わってこれから何をどのように生徒指導をしたらいいのか模索の時代だったのでは?

後列ひょろっと背の高い八田先生は東田から牟呂中まで自転車を蹴飛ばして通った教師一年生、あまりに早いのであだ名が消防自動車、完璧を目指す国語教師、テストで89点だった私、出来の悪い生徒を教壇の前に並べ、往復ビンタをパチパチパッチン!\(*`∧´)/ 今なら教育委員会に文句言われるかも!

前列向かって左から3人め恰幅のいいWスーツが兵東先生。。。

生徒を指導するには先ずは身形をきちんとする。自然と教師の威厳が出る。

生徒たちも質素ながら制服に身を包み、先生の教えを真摯に受けた。

時々授業が、田んぼのいなご捕りや海苔の柴むしりに変わったことも懐かしい思い出だ。(いなごは佃煮、柴むしりは農家から1本5円?の収入になり学校の備品購入になったと思われる。

この時代は未だ物資が乏しく、弁当を持ってこない生徒も居て、昼食の時間になると教室を出て運動場で時間を過ごして居たように記憶している。

半農半漁の人が多く暮らす牟呂地域で食べ物に不自由は無い所なのに弁当持参が出来ない生徒が居たとは・・・満州からの引揚者か???天白開拓者の子弟か?

そう云えば私の家にも毎日のように物乞いが来ていたのを覚えている。 大体は蒸したサツマイモが多かったが、段々図々しくなり、( ´_ゝ`)フーン・・・

「姉さん、藷(サツマイモ)はいいで握り飯をおくれんかのん。」 気の良い祖母は1枚の海苔に麦飯をどっさり、大きな梅干をポイっと真ん中において大きな握り飯をめぐんでいた。 コンビニで売ってる おにぎり4ヶ分位の大きさsign03

祖母より随分若い乞食だったような。。。

さてさて、兵東先生が突然 「愛国心」 について作文を書くよう、薄茶いろのわら半紙を前から順番に一枚づつ配る。

クラスには戦争遺児が数人いる、 私も中の一人だ。

ゴシゴシ消しても消えない消しゴム、消すと破れるわら半紙を前に、一気に書き上げる。 其のときは何故かすらすら書けたのだ!

半世紀以上経った今でも文章の概略は覚えている。 と言うことは人生の道標がぶれていないことなのか、または進歩していないのか???

兵東先生はどのような考えで13才の生徒たちに愛国心を教えたかったのか???

        続く

|

« 歩兵第十八連隊史と兵東先生*** | トップページ | 何にもない棚*** »

コメント

取り急ぎ、地震まだ揺れてるけど無事です。
mail等は使わないから連絡しないでください。大丈夫だから。

投稿: satoko | 2011年3月11日 (金) 19時47分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 歩兵第十八連隊史と兵東先生*** | トップページ | 何にもない棚*** »